真夏にコートを着る合理的経済人

合理的経済人という錯覚

合理的経済人という言葉からすると、非人間的なほど合理的に行動する人間という印象を受けます。
経済学に対する批判でも、「人間はそれほど合理的ではない」といった種類の批判がよく見られます。しかし、本当の問題は、合理的経済人が真夏にコートを着てマフラーをまくような非合理的行動をとることにあります。

これは、「合理的」という言葉からくる錯覚です。合理的経済人の「合理的」とは、あくまでも、ミクロ経済学の理論やモデルにおける「合理的」であって、現実の経済における「合理的」ではありません。

合理的行動か否かは条件に依存する

合理的な行動か否かは、おかれている条件に依存します。コートを着てマフラーをまくという行動は、寒い真冬には合理的ですが、暑い真夏には非合理的です。

ミクロ経済学の仮定と現実の経済は大きく異なる、合理的な行動も大きく異なる

ミクロ経済学の仮定と現実の経済は大きく異なります。したがって、ミクロ経済学の仮定と現実の経済では、合理的な行動も大きく異なることがあります。
ところが、ミクロ経済学では、「寒い真冬にはコートを着てマフラーをまくのが合理的だから、暑い真夏にもコートを着てマフラーをまくのが合理的である」といったレベルの主張が珍しくありません。

一例を挙げます。ミクロ経済学では、多くの理論やモデルにおいて、取引に付随する、移動や輸送、通信等の様々な費用(時間等も含む)をゼロであると仮定しています。この仮定の下では、同じ商品について扱うのであれば、取引相手で区別したりしないのは合理的です。
しかしながら、現実の経済では、取引に付随する様々な費用が生じます。したがって、条件が最も良い取引相手の商品だけを扱おうとします。同じ商品でも異なる取引相手が扱うものは区別されます。北海道に住む人が、ありふれた商品を九州に買いに行ったりしません。