生産性に関する錯覚

はてなブックマークで、生産性に関する意見がいくつかありました。生産性に関しては、誤解が多いようなので、少しまとめてみましょう。

  1. 生産性は生産量と投入量の比である。
  2. 生産量が生産性に依存する場合も生産性が生産量に依存する場合もある。
  3. 広く一般的に使用できる生産量は、付加価値とかTOCスループットくらいしか無い。
  4. 生産性は、仕入れから販売までのように通して考える必要がある。
  5. 一部の生産性の向上が全体の生産性の向上に全く寄与しないことがある。

生産性は生産量と投入量の比である

生産性は生産量と投入量の比です。生産量を投入量で割ったものです。

生産量は、付加価値(国単位ならGDP)やTOCスループット等で表します。経時的データの場合、生産台数等が使われる場合もあります。

投入量は、労働時間や労働人口で表すことが多いです。

生産量が生産性に依存する場合も生産性が生産量に依存する場合もある

生産量が生産性に依存する場合も、逆に生産性が生産量に依存する場合もあります。経済学の比較生産費説は、生産量が生産性に依存するようになっていますが、そのような保証はありません。一般に、供給の数量が制約になっている場合は、生産量が生産性に依存します。逆に、需要の数量が制約になっている場合は、生産性が生産量に依存します。

広く一般的に使用できる生産量は、付加価値とかTOCスループットくらいしか無い

広く一般的に使用できる生産量は、付加価値とかTOCスループットくらいしかありません。例えば、売上は、流通経路で多重計算されてしまうリスクがあります。同じ部門の経時的データくらいにしか使えません。

異なる商品等も統一的に扱おうとすると、金銭的なデータしかありません。さらに、多重計算を避けると、付加価値とかTOCスループットくらいしかありません。

生産性は、仕入れから販売までのように通して考える必要がある

生産性は、仕入れから販売までのように通して考える必要があります。言い換えると、経路を区切った生産性は、意味がありません。これは、もう一つの内容と密接に関連しているので、詳細は後述します。

一部の生産性の向上が全体の生産性の向上に全く寄与しないことがある

一部の生産性の向上が全体の生産性の向上に全く寄与しないことがあります。逆効果になる場合もあります。

例を挙げてみましょう。ベルトコンベアで前工程から後工程に無条件でものが送られてくるとします。この時、前工程が頑張って、後工程にどんどんものを送り出したとします。しかし、それだけでは、前工程から後工程にものを大量に売っていると見なせるに過ぎません。逆に後工程から見ると、大量にものを買っていることになります。前工程から見ると、売った額が増え、付加価値やスループットが増えるかのように見えます。しかし、後工程から見ると、買う額が増え、付加価値やスループットがその分減ることになります。

TOCが、スループットを最終的な販売額から原材料費を引いたものとしているのは、そこに理由の一つがあります。中間的な生成物が増えても、その後の工程側から見れば、それは、生産性を下げる要素にしかなりません。

単純な工程の連鎖だけでなく、権力等による強制力が作用することもあります。このような場合も、一部の生産性の向上が全体の生産性の向上に寄与する、とは限りません。損を他所に押し付けているに過ぎないかもしれません。

一部の生産性の向上は全体の生産性の向上に寄与する、と言えるのは、個々が全く自由に振る舞える場合のみです。