移動等の費用をゼロとしたモデルに移動等の費用は付け加えられない

あらためて、移動等の、取引に付随する費用(含む時間、以下、移動等の費用)について整理してみましょう。

ミクロ経済学の部分均衡モデルや一般均衡モデルには、移動等の費用は出てきません。部分均衡モデルや一般均衡モデルが、移動等の費用がゼロであると仮定したモデルである、と錯覚しがちです。しかし、そうではなく、部分均衡モデルや一般均衡モデルは、移動等の費用がゼロであることを「前提」にしたモデルです。移動等の費用がゼロであることは、モデルを考える際の基盤となっているということです。暗黙のうちに、移動等の費用がゼロであることがモデルに取り込まれています。現実の経済から取引の部分だけを取り出したわけではありません。現実の経済から取引の部分だけを取り出しただけだと信じている人々は多いようですが。

「店に行く」という事象は、「店で商品を買う」事象より、時間的にも依存関係でも前に発生します。したがって、移動等の費用に何らかの前提を置かないと、モデルが作れません。移動等の費用が不明ならば、それを含めてそれらに対して行う経済判断の結果も不明です。経済判断ができません。移動等の費用がゼロであるという前提を置いたのが、部分均衡モデルや一般均衡モデルということになります。

移動等の費用がゼロであることを前提にしたモデルなので、そのモデルに移動等の費用を付け加えることはできません。移動等の費用がゼロであり、かつ、移動等の費用がゼロではない、という論理は成立しません。数学的に言うなら、空集合が得られるだけです。

摩擦がゼロであるモデルに摩擦を付け加えるのと同様だ、と反論する人もいるかもしれません。しかし、そうではありません。摩擦が考慮に入っていないモデルに摩擦を付け加えて、摩擦がゼロでないモデルを作っているのです。摩擦がゼロであるモデルと摩擦が考慮に入っていないモデルが区別できないため、結果として、摩擦がゼロであるモデルに摩擦を付け加えるのと同じ形になっているだけです。

つまり、部分均衡モデルや一般均衡モデルは、現実の経済に対する意見の根拠にならないということです。あくまでも、移動等の費用がゼロである条件下でそうなるということです。移動等の費用がゼロでない現実の経済のおいてどうなるかは、別の根拠が必要です。コウモリが空を飛べることは、同じ哺乳類であるヒトが空を飛べることを意味しません。

経済判断には、移動等の費用も含まれている

経済判断には、その対象として、移動等の費用も含まれています。商品1個ごとにレジに並び直す?』で挙げているように、同じ種類の二つの商品を同等の取引条件の二軒の店から選択して買うという仮定をしただけで、移動等の費用をゼロと見なすことができなくなります。移動等の費用がゼロなら、二軒の店で各々一つずつ商品を買うという行為が、最大の確率となります。しかし、誰もそんなことはしません。経済判断には、その対象として、移動等の費用も含まれているからです。二軒の店の間を移動して移動等の費用を増やすことはしません。

摩擦がゼロのモデルと摩擦が考慮に入っていないモデルとは区別できない

摩擦がゼロのモデルと摩擦が入っていないモデルとは区別できません。「A+0=A」なので、ゼロの摩擦を足したのか、摩擦を足していないのか区別できません。すなわち、ゼロの摩擦を足した、摩擦がゼロのモデルと、摩擦を足していない、摩擦が考慮に入っていないモデルとは区別できません。

摩擦がゼロのモデルに摩擦を足したかのように見える

一見、摩擦がゼロのモデルに摩擦を足したかのように見えます。しかし、これは摩擦がゼロのモデルと摩擦が考慮に入っていないモデルとが区別できないため、摩擦が考慮に入っていないモデルに摩擦を付け加えたものを見誤っているに過ぎません。

移動等の費用がゼロのモデルに移動等の費用を付け加えることはできない

移動等の費用がゼロのモデルに移動等の費用を付け加えることはできません。移動等の費用がゼロであり、かつ、移動等の費用がゼロではない、という論理は成立しません。

また、「店に行く」という事象は、「店で商品を買う」事象より、時間的にも依存関係でも前に発生しますから、移動等の費用を割り込ませることになります。合成関数の交換法則は一般に成り立ちませんから、この点でも、移動等の費用を付け加えることはできません。f(g(x))は一般にg(f(x))に等しくありません。

補足

なお念の為に言っておくと、移動の費用等の無いモデルを作るなと言っているつもりはありません。一種の思考実験として、移動の費用等の無いモデルを作ることは否定しません。しかし、それは、現実の経済に対する意見の根拠には一般になりません。