供給は需要で決まる

各々の供給者(売り手)の供給の数量は、その供給者(売り手)に対応する需要家(買い手)の需要の数量で決まります。なお、ここでは、供給の数量が、需要の数量の変化に比べて充分短い時間で変化する場合を想定しています。

供給の数量が需要の数量で決まる理由は、簡単です。売れなかった商品の価値は、ゼロどころか、マイナスだからです。供給者である企業は、利潤最大化の原理に従うと見なせます。供給しただけでは、利潤は増えません。それどころか、原材料や加工の費用等が発生するため、供給しただけならば、数量が少ないほど利潤が多いということになってしまいます。

部分均衡モデルにおいて、右上がりの供給曲線が成り立つのは、各々の供給者が商品が全て売れるかのように仮定して行動することになっているからです。各々の供給者にとっての需要曲線は、水平であり、市場価格でいくらでも売れることになっているからです。

もちろん、これは、あくまでも部分均衡モデルにおけるものであり、現実経済の市場とは異なります。現実経済の市場では、各々の供給者は、右下がりと近似できる需要曲線に直面しています。右下がりの需要曲線と数量が一致するよう供給の数量を調整するため、供給曲線は、成り立ちません。

各々の供給者にとって、需要の数量は有限であり、需要の数量より多く供給しても利潤が減少するだけです。需要の数量より多く供給すると、売上高が変わらず、費用が増大するので、供給する数量が増えるほど利潤は減少します。マイナスになることも有り得ます。

なお、厳密に言うと、企業が従うのは、利潤最大化の原理ではなく、ハーバート・サイモンが提唱した満足化の原理になります。利潤最大化のために詳細な調査をしたりすると、その調査のための費用が増大して、利潤最大化に反します。利潤最大化を突き詰めようとすると矛盾します。そのため、ある程度の利潤が得られたら満足するという満足化の原理が合理的なものになります。

現実の市場は小さな独占市場の集合

現実の市場は小さな独占市場の集合と見なせます。『各々の買い手はある商品を単一の売り手からのみ買う』と見なせますから、単一の売り手とそれを相手とする小さな独占市場が集合したものと見なせます。

但し、各々の小さな独占市場の境界付近では、ある種の裁定取引が作用します。買い手は、価格が安いところで買い、一度に買う数量を増やすことで、取引全体の費用における価格の比率を高めようとします。裁定取引により、各々の売り手は、純粋な独占市場の売り手のようなプライスメーカー(価格設定者)ではなく、プライステイカー(価格受容者)的なものになります。

数量に関しては、各々の売り手に対応する買い手の要求する数量の和が、各々の売り手に対する要求となります。いわゆる右下がりの需要曲線が、各々の売り手に対して成り立ちます。

なお、ここでは、買い手が売り手より多い一般的な商品を想定しています。また、買い手や売り手という言葉を使うのは、流通業者等を意識したからです。

各々の買い手はある商品を単一の売り手からのみ買う

各々の買い手はある商品を単一の売り手からのみ買うと近似できます。ここでは、買い手が売り手より多い一般的な商品を想定しています。また、買い手や売り手という言葉を使うのは、流通業者等を意識したからです。

同じ商品でも買い手は売り手を選択する』わけですが、ある買い手はある商品を単一の売り手からのみ買うわけではありません。売り切れの場合以外にも、以下のような例外があります。

  • 買い手の移動などにより、取引条件が最も良い売り手が変わる
  • 取引条件が最も良い売り手が複数いる
  • 売り手の廃業等のリスクに備える

最初と二番目は、その買い手について、要求する数量がその分少ない買い手が複数いると見なすことができます。売り切れは、売り手にとって機会損失ですから必要最小限に抑制されますし、売り手の廃業等のリスクに備えるのもさほど大きなものになりません。従って、各々の買い手はある商品を単一の売り手からのみ買うと近似できます。

モデルから外した要素を追加できないミクロ経済学のモデル

ミクロ経済学には数学的基礎は無い』では、説明が不十分だったようなので、説明し直します。

自然科学では、理想化・抽象化したモデルにモデルから外した要素も追加して、より現実的なモデルに拡張することが一般にできます。しかし、部分均衡モデルや一般均衡モデルといったミクロ経済学のモデルでは、こうしたことが一般にできません。なぜなら、ミクロ経済学のモデルから外した要素の一部は、取引以前に発生するものだからです。計算の順序は一般に変えられません。数学的に言うなら、合成関数の交換法則は一般に成り立たないというところでしょう

摩擦は他の力と同時に作用するので、摩擦の無いモデルにそのまま追加することができます。しかし、取引に付随する費用は、その一部が取引の前に発生するので、取引に付随する費用の無いモデルに追加することはできません。費用のあるモデルを作り直す必要があります。

このため、ミクロ経済学における合理的行動は、現実の経済における合理的行動とは必ずしも一致しません。例えば、価格等の取引条件が同じで、同じ商品ならば、ミクロ経済学では、無差別に扱うことになっています。しかし、現実の経済では、取引全体の費用における限界費用に差が生じるため、取引相手を選択するのが、合理的な行動となります。

日銀が国債を大量に買っただけではハイパーインフレにはならない

日銀が国債を大量に買っただけではハイパーインフレにはなりません。

『日銀が国債を大量に買えば、ハイパーインフレになる』と主張する人々がいます。しかし、日銀の国債大量購入にもかかわらず、ここ四半世紀ほどデフレ気味です。最近、輸入食糧や円安の影響で多少コストプッシュインフレになったに過ぎません。

ハイパーインフレにならない理由は、国債を売って円を買った側が、安値で円を売ったりしようとしないからです。ずっと持ち続けているからです。買った側が保有している円の大部分は、預金通貨であり、単なる電子データに過ぎません。給料を例に挙げても、現金で受け取っている読者はほぼ皆無でしょう。お金の大部分は、預金通貨です。

預金通貨なので、お金が10倍になろうと、100倍になろうと、保有することの費用はほぼ一定です。期間に応じて増えるだけです。一般的な商品のように、保有する費用がほぼ数量と期間の積に比例するということはありません。いわゆる在庫処分はありません。錆びたり、腐敗したりすることもありませんから、半永久的に保有していることが可能です。

インフレやハイパーインフレが生じるのは、中央銀行が通貨で国債を買うからではなく、政府が国債を発行して、それにより商品を大量に買うからです。政府支出を大きく増やすからです。しかしながら、現状の日本政府は、不景気による税収不足をある程度補填しているに過ぎません。デマンドプルインフレを起こすにも不足気味です。

同じ商品でも買い手は売り手を選択する

同じ商品でも買い手は売り手を選択します。これは、取引条件の良い売り手を積極的に選択するという意味ではありません。同じ商品でも買い手は売り手を無意識的に選択してしまうということです。なお、ここでは、買い手が売り手より多い一般的な商品を仮定しています。また、買った後でしか売り手がわからず、買い手が売り手を選択できないような特殊な市場については、ここでは除外します。

買い手が売り手を選択している証拠は簡単です。同じ商品を複数購入する場合を考えてみれば十分です。売り手を選択していない場合ならば、n個の商品をn人の売り手から買うでしょう。しかし実際には、売り切れといった特殊な条件がない限り、単一の売り手からのみ買います。ほとんど無意識的に行うことであり、一般には選択していることを自覚しません。

また、相手をする売り手の数でも、売り手を選択していることがわかります。もし売り手を選択していないならば、経過する時間にほぼ比例して、相手をする売り手の数が増えるはずです。一年間に訪れる店の数は、一週間に訪れる店の数の50倍位になるはずです。

同じ商品でも買い手が売り手を選択する理由は簡単です。実は、ミクロ経済学限界原理と呼ばれるもので説明できます。取引に付随する費用を含めた取引全体の費用を考え、その費用の限界費用を考えます。すると、買う数量を増やした時、同じ売り手から買う方が、異なる売り手から買うより、移動等の費用が節約できる分少なくなります。限界費用が少くなる方を選ぶという当然のことをしているだけです。

労働市場等、買い手が売り手より少ない場合は、逆で、売り手が買い手を選択することになります。ただし、これは、商品自体に優劣がないことが前提です。商品自体に優劣がある場合は、最も取引条件が良い商品を買い手は得ようとします。

(2022/12/24追記)

買い手や売り手と記述したのは、工場に対しては買い手、消費者に対しては売り手となる流通業者等を意識したためです。気になる方は、各々、需要家、供給者と読み替えて頂いて構わないはずです。

取引に付随する費用の影響は大きい

商品の価格、数量を含めた、取引全体の費用における取引に付随する費用の影響は、相対的に見るとかなり大きいです。部分均衡モデルや一般均衡モデルは取引に付随する費用を無視したモデルですので、取引に付随する費用は軽視されがちです。しかし、これは間違いです。

例えば、買う人の買う前の移動に関する費用は、買わなかったからといって消滅するわけではありません。これは、売る側にも言えます。売れなかったからといって商品の移動に関する費用が消滅するわけではありません。

このように、少なくとも、いくつかの種類の、取引に付随する費用は、価格と数量の積である代価より、相対的に大きいことになります。

取引が成立しなくても発生するような、取引に付随する費用に関しては、その予想される期待値が代価より相対的に大きいことになります。

純然たる金銭的価格ではなく、取引が成立しない場合も含めた、期待値で、取引全体の費用を考える必要があります。