経済学の過大評価

経済学が過大評価されているように思う。

私にとって、正三郎さんと月一回のみに行く機会があるだとか、Larry Wallさん(ここではあえて「さん」付き)と萌えとPerl6の話しを同時進行させるだとか、Matzさんとblogで言葉を交わすだとか、面白かった本の書評にその本の著者ご本人たちからtrackbackを頂くだとといった、「交遊」(communication)というのは、私が持っている金融資産以上の価値がある。

だけど、そこでpricelessという言葉を持ち出して思考停止したくないのだ。こういったことは現時点で"unpriceable"なのは確かなのだけれども、それならばきちんと「測定」できるようにしたい。だからわざわざValue 2.0なんて言葉を持ち出したのだ。

現在主流の経済学では、基本的に「価値」は扱わない。価値は主観的なものであり、個人個人の心の中の問題だからである。
扱うのは、「価格」であるが、価格の扱いが充分かと言えば大いに異論がある。「価格が変化しなくても需要量と供給量とは物理法則に従ってつりあう」と書いたように、主流の経済学が基礎としている均衡モデル自体に特大の疑問符がつく。「均衡モデルはトヨタやセブン-イレブンのやり方と相容れない」など、均衡モデルは現実の経済と大きく乖離している。均衡モデルがまったく役に立たないとまでは言わないが、限定された問題に充分な注意を払って適用すべきである。

価格すら充分に扱えていない経済学に価値を扱えと望むのは、期待しすぎというものだろう。