人間にはバクテリアほどの知性もないと仮定する経済学

人間には合理的判断を行うだけの知性がないと仮定している均衡モデル

主流派の経済学が唱える均衡モデルでは、人間にはバクテリアほどの知性もないと仮定している。「合理的経済人」という経済学の用語があり、(主流派の)経済学では、人間の行動は合理的であると仮定すると考えられている。経済学への批判においては、この仮定は非現実的だと語られることが多い。ところが、実は、主流派の経済学が唱える均衡モデルでは、人間にはバクテリアほどの知性もないと仮定している。合理的判断を行うだけの知性がないと仮定している。より正確には、均衡モデルを現実の経済に適用しようとすることによって、人間にはバクテリアほどの知性もないと仮定している。

現実経済における物理的制約を無視した均衡モデル

経済学の均衡モデルは、現実の経済にある物理的制約を無視している。このことを、物理学において摩擦がないモデルを考えたりするのと同じだと主張する人は多い。だが、実際には全く違う。物理において、摩擦の有無と物体自体の慣性などの運動法則とは全く独立であり、摩擦の作用の結果として最終的な運動が違ってくるにすぎない。だが、人間を含め、生物は外界を認識して行動を変える。無酸素状態では無気呼吸する微生物が酸素があれば酸素呼吸したりする。

均衡モデルでの合理的行動と現実経済での合理的行動とは同じではない

現実経済における物理的制約を無視した均衡モデルでの合理的行動が、物理的制約のある現実経済においても合理的行動であるとは限らない。その違いを無視して均衡モデルでの合理的行動を現実経済に当てはめようとするのは、人間にはバクテリアほどの知性もないと仮定していると言わざるを得ない。