トンデモという決め付け

理科教育に入り込んだ(?)、「現代の科学観」という名のトンデモ”というエントリがある。だが、そこで挙げられている「現代の科学観」がトンデモとはとても思えなかった。

理論は仮説

例えば、「理科でも取り扱われるさまざまな科学概念、科学理論や法則、体系というものは、そういう意味で、あくまで人間の構成物であり、それら自体が自然界に実在するということを前提としない」という考えは、ごくまともなものと思える。「99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)」と、本のタイトルにすらなっているように、理論というものは確度の高い仮説に過ぎず、絶対的なものではない。より正しい仮説、より優れた仮説に置き換えられてしまう可能性はあり、「それら自体が自然界に実在する」と見なすことは、そうした点からも妥当なものではない。

理論負荷性は遍在する

さらに後者だけれど、この章は観察の理論負荷性や、推論の「知識誘導性」について述べている。

理論負荷性の議論は、クーンがまだ尖っていた頃の、のちには自身でトーンを弱めた考えを古いまま使っているようだ。

理論負荷性やら、知識による推論の誘導というのは、たしかにある局面では「存在する」とぼくは思う。

理論負荷性や知識による推論の誘導は、ほぼ全ての局面に存在する。例えば、実験データを計測する時、何を計測するか決めるのは「理論」である。実験に無関係と思うデータは計測しない。実験に無関係なはずのデータまで計測していたら、無限の時間が必要になってしまう。

科学が「事実」に基づくものである以上、「事実の理論負荷性」からは逃れられない。