トンデモという決め付け(3)

トンデモという決め付け(2)」に対してコメントをもらった。“理科教育に入り込んだ(?)、「現代の科学観」という名のトンデモ”や“理科教育と非実在論・相対主義についての「続き」”を書いた理由はわかった。だが、全くと言っていいほど納得できない。
構成物とか創造物とかいった言葉に対する解釈に大きな食い違いがある。私の言葉の解釈が絶対的に正しいと言うつもりはないが、ここまで食い違うと到底受け入れられない。

あらゆる構成物は種々のルールに制約されている

重力にかんする「逆二乗の法則」は構成されたものでしょうか。

構成されたものと言えると思う。

もしも、酔狂人さんが、ニートン力学も完全に構成物で、逆三乗でも正比例でもありなのだ、と感じてらっしゃるのであれば、おそらく、ぼくは違う信念・信仰の中に生きていることになり、対話不能ということになります。

「完全に構成物」と「逆三乗でも正比例でもあり」とは結びつかないと思うのだが……。
例えば、東京都庁ビルを上下逆の形で建てたり、斜めに傾斜させて建てたりできるだろうか。東京都庁ビルは「完全に構成物」だと思うが、法律や物理法則の制約から、どんな形にでも建てられたわけではない。
あらゆる構成物は、自然法則や社会的なルールなどに制約されており、何でもありなどではない。自由度の高い芸術の世界でもそうしたルールはある。サルがでたらめにキーをたたいた結果を小説とは呼ばない。

カワバタさんは、構成物とか創造物では何でもできるかのように主張している。だが、何でもありというのは、無秩序やカオスと呼ばれるべきものであって、構成物とか創造物とか呼ばれるべきものではない。

自然法則は従来の法則などをもとに創造されたもの

まず第一に、ぼくが紹介した本でも、また、当時の文部省の指導要領でも、科学理論は人間の「創造物」であると言い切られているからです(文科省については詳細調査中ですが)。これは、さきほど挙げた例でいうと、万有引力が逆二乗で利く、という法則すら、構成物だとする立場です。

重力に関する「逆二乗の法則」もケプラーの法則などをもとに「創造」されたものだと思うが……。科学理論は、それ以前の科学理論などをもとに「創造」されたものである。それは、新しい曲や新しい小説がそれまでに書かれた曲や小説から影響を受けているのと同様、先人の知見を踏まえて、それらを肯定的、あるいは否定的に引き継ぎ、それに新しい何かを加えたものと言えるだろう。

自然法則が創造物であることを否定するのは、自然法則が先人の膨大な努力の結果として成り立っていることを否定することになるだろう。