消費税という悪税

消費税は悪税です。下記のように三拍子揃った悪税です。

  • 消費の抑制
  • 支出側への課税
  • 逆進的

消費税は、年金所得者など、ほぼ消費のみの人々に対しても課税されるので不公平を是正すると言う人達もいます。しかし、これは、誤解に過ぎません。消費税は不公平を是正しません。

消費こそ経済の基盤

消費こそ経済の基盤』です。消費は日本の基盤の一つです。消費税はこの消費を抑制します。

課税することは、ある種のペナルティを課し、抑制することです。タバコ税、炭素税などです。これらにペナルティを課すことは、一理あります。しかし、経済の基盤である消費全体に課税することは、非合理的です。日本経済全体を抑制することであり、税が経済の一部であることに矛盾しています。

支出側の課税は避けるべき

支出側への課税は避けるべきです。消費税はこの原則にも反しています。

所得は支出の結果』であり、フローの一方の端です。どちら側に課税しても良さそうに見えます。しかし、原則、所得側に課税すべきです。「税引き後の利潤を最大化する」ことの心理的効果が、支出側と所得側で逆だからです。支出側の課税は、「利潤を最大化する」ために抑制するよう作用します。所得側の課税は、逆に促進するよう作用します。

「税額の最小化」もあります。これは、支出側も所得側も同じです。したがって、支出側の課税では、抑制するよう二重に作用します。所得側の課税では、相殺するよう作用します。

消費税は逆進的

消費税は逆進的です。つまり、所得が少ない人々には負担が重く、所得が多い人々には負担が軽いということです。所得が少ない人々は支出に占める消費の割合が高く、所得が多い人々ほど消費の割合が低くなる傾向があります。

消費税は不公平を是正しない

消費税は不公平を是正しません。消費税は、年金所得者など、ほぼ消費のみの人々に対しても課税されます。不公平を是正すると言う人達もいます。しかし、これは、誤解に過ぎません。フローの反対側で税を徴収すればいいことです。消費税を課税しなくても、介護費用などを上昇させ、年金も増やし、介護士所得税や介護会社の法人税として吸い上げればいいことです。

諸外国の消費税にはやむを得ない面がある

諸外国の消費税にはやむを得ない面があります。伝統だけでなく、国が陸続きという影響は大きいです。

国が陸続きということは、住む場所や働く場所、消費する場所が別々の国である可能性を無視できません。働いて得た所得を別の国で消費する可能性を無視できません。このような場合は、消費にも課税して調整せざるを得ません。

ミクロ経済学には基礎が無い

計算順序という経済学の初歩的問題』で説明したつもりでしたが、不十分だったようなので、別途記述します。

ミクロ経済学は基礎に欠けています。正確に言うなら、ミクロ経済学は、基礎的な数学的裏付けが大幅に不足しています。

ミクロ経済における経済判断も物理法則などと同様、ある種の計算と見なせます。しかしながら、似ているのはそこまでです。物理的同時に発生する事象を基本とするか、順序のある事象を基本とするかで、全く異なります。

ニュートン力学などの物理的に同時に発生する場合は、順序を変更しても、表記上の順序が変更されるだけです。そのため、抽象化したモデルで考えて、現実との差異の分を後で足すといったことができます。

それに対して、ミクロ経済のように物理的な順序がある場合は、順序を変更することは、物理的な順序を変更することになります。別の計算になります。そのため、抽象化したモデルで考えることが、一般にできません。現実との差異の分を後で足すといったことができません。そうすると、別の計算になります。

経済判断も物理法則と同様ある種の計算と見なせる

経済判断も物理法則と同様にある種の計算と見なせます。コンピューターを使った取引などを考えると明らかでしょう。

しかし、ニュートン力学などとの共通点はそこまでです。ミクロ経済学は、ニュートン力学などと異なる手法が必要となります。基本的な事象が物理的に同時か否かが異なるからです。

ニュートン力学などでは抽象化モデルが使える

ニュートン力学などでは抽象化したモデルが使えます。ニュートン力学では、摩擦の無い運動のモデルなどを使えます。現実の気体を扱うのに、理想気体を基に考えることができます。現実の電磁波の吸収や放射を扱うのに、完全黒体を基に考えることができます。

抽象化したモデルに現実との差異を足せば、現実の姿が求まります。物理的に同時に発生する場合は、まず、抽象化したモデルで考えて、現実との差異をそれに足すことで現実の姿が求まります。

ミクロ経済では抽象化モデルは使えない

ミクロ経済では抽象化したモデルは使えません。厳密には、ごく限られた抽象化したモデルしか使えません。大部分の抽象化したモデルは間違いです。

ミクロ経済では、抽象化したモデルと現実との差異を埋める方法が一般に存在しません。ミクロ経済における経済判断の対象となる経済行為は、物理的に同時ではありません。経済判断に対応する計算には、順序性があります。個々の全ての計算の間に順序があるわけではありませんが、特定の計算の間には順序があり、ほぼ全ての計算にその計算に依存する計算やその計算が依存する計算があります。

例えば、商品を店から買う場合、店に支払う価格だけでなく、現実には、店に行く費用(時間等も含む)といったものが必要です。店に行く費用は、店で買う前に発生します。したがって、店に行く費用の無いモデルに、店に行く費用を追加して考えるということはできません。それは、計算の順序を無視することであり、一般に数学的に無意味です。

一種の思考実験として、抽象化したモデルで考えることはかまいません。しかしながら、それを現実の経済に適用しようとすると、多くの場合、計算の順序は一般に変更できない、関数の交換法則は一般に成り立たないという数学的法則に反します。

ミクロ経済学はゼロからやり直し

上記のような理由で、ミクロ経済学は、ほぼゼロからやり直さなければなりません。多くの抽象化したモデルが使えません。部分均衡モデルも一般均衡モデルも使えません。

ルーカス批判と呼ばれるマクロ経済学に対する批判があります。マクロ経済学は、ミクロ経済学による裏付けに欠け、予想の変化による経済行為の変化に対して考慮していないというものです。この批判には、一理あります。しかし、残念ながら、ミクロ経済学自体が、基礎的な数学的裏付けが大幅に不足しています。

ミクロ経済学には、生物学や医学の基礎的な手法が必要でしょう。二重盲検法といった方法による客観的なデータが必要です。

国債は返済不要

国債は、政府の債務、借金であり、返済しなければならないと言われます。これは、ある意味間違いです。

少なくとも、独自通貨建ての国債は、国民の資産であることが本質です。独自通貨建ての国債が、政府にとって、債務、借金であるというのは、方便に過ぎません。独自通貨建ての国債が、政府にとって債務ではないとすると、そのために法律を作ったり、会計上の例外的扱いを追加したり、色々な不都合が生じます。だから、政府にとって債務であるとしているだけです。国債保有者から求められているのは、政府の健全な維持、発展です。返済ではありません。

国債の本質は国民の資産

独自通貨建ての国債の本質は、国民、国民保有の企業にとって資産であることです。ほとんど通貨と同じです。通貨との違いは、通貨が常にその額面上の価値を保証されているのに対し、独自通貨建ての国債は償還時しかその額面上の価値が保証されていないことです。そして、その反面、通貨には付かない利子が独自通貨建ての国債には付きます。

政府の債務という方便

独自通貨建て国債が政府の債務であるというのは、ある種の方便に過ぎません。独自通貨建て国債が、国民にとって資産であるということを無理なく成り立たさせるためのものに過ぎません。

利払いや他者への譲渡、償還、といった国債の扱いを認めるには、国債を債権として扱うのが自然です。そして、債権と債務が同じものの表と裏であることを考えると、国債の債務を政府が負うようにするのが、順当ということになります。

求められているのは、健全な維持・発展

政府が国債保有者に求められているものは、政府の健全な維持、発展です。決済資金の分や、例外的に経営が大きく悪化したような場合を除けば、返済ではありません。実際、返済である償還時は、借り換えが行われて、返済が相殺されるのが普通です。実質、ほとんど返済されません。

緊縮脳は化石脳

緊縮とか財政均衡とかを唱えている人々は、経済理解が大昔の段階で止まっている人々です。現在の日本が主権通貨国であることに対応できていません。化石のような脳ミソ、化石脳の持ち主と言っていいでしょう。

主権通貨国はいくらでも通貨を発行可能

日本のような、MMT(Modern Monetary Theory)がいうところの主権通貨国は、理屈上、いくらでも通貨を発行可能です。緊縮とか財政均衡とかを考える必要はありません。

荻原重秀は、元禄の改鋳を行い、一両小判中の金含有量を下げました。小判の価値は、金含有量で決まるものではないと認識していたからです。緊縮を唱える人々は、三百年以上前で思考が止まっているのでしょう。昔は暖房や炊事に薪や炭を使っていたので、現在も変わらず薪や炭を使えと主張するのでしょう。

緊縮や財政均衡は政府には不要

緊縮や財政均衡は、現在の日本政府には不要です。お金の不足には、赤字国債を発行して、日銀に買い取らせれば足ります。赤字国債を発行し過ぎれば、インフレ率が上昇するリスクはあります。逆に言えば、インフレ率が許容できる限り、赤字国債の上限はありません。

財政黒字はバブルのしるし

財政黒字は、「黒字」であり、望ましいものと一般に信じられています。しかし、実際には、財政黒字は、多くの場合、大規模な不況、そしてその不況による財政赤字の先駆けとなります。そのため、『財政黒字は危機の予兆?』と疑問符が付けられています。 財政黒字は、民間の債務が急増したということです。民間の債務の急増は、バブル発生の表れです。バブルは、早晩崩壊し、大不況となり勝ちです。

なお、ここでは、政府として、現在の日本政府のような存在を想定しています。

財政黒字は政府債務減少

財政黒字は、政府債務の減少を意味します。財政黒字は、フローとしては、歳出を歳入が上回ったことを意味します。同時に、ストックとしては、政府債務の減少を意味します。

政府債務減少は民間債務急増

政府債務の減少は、一般に民間債務の急増を意味します。政府債務の減少は、一般に、ローリスク・ローリターンな国債が売られ、ハイリスク・ハイリターンな株式、不動産などが買われたことを意味します。株式や不動産が買われて、民間債務は急増します。

民間債務急増はバブルのしるし

民間債務の急増はバブルが発生しているというしるしです。民間債務が安定的に増加しているときは、政府債務も増加しており、財政黒字にはなりません。しかし、民間債務が急増しているときは、政府債務が減少しているときです。つまり、国債が売られ、株式や不動産が買われ過ぎているときです。バブルが発生しているときです。

バブルは早晩崩壊する

バブルは、早晩崩壊します。実力以上に買われ、価格が上がり過ぎた、株式や不動産などは、売られ、価格が下落します。バブルは崩壊します。バブルの崩壊と共に、大規模な不況が発生します。

財政黒字が、バブル崩壊と共に、大規模な不況を引き起こします。

消費こそ経済の基盤

消費こそ経済の基盤です。消費があるから投資がありますし、供給があります。日本の社会は消費によって支えられていると言っていいでしょう。消費が日本経済の制約になっています。消費を伸ばすことが日本社会の発達のためには必要です。

消費があるから投資がある

消費があるから投資があります。供給量は需要で決まります。現在の需要を満足し、予想される機器の寿命、予想される需要の変動などから妥当な供給能力が決まります。妥当な供給能力を満たすように投資されます。

消費があるから供給がある

消費があるから供給があります。仮に、その地方なり、その国なりの供給能力が不足していても、企業は、輸入などで他の地方や他の国の供給能力を使って埋め合わせようとします。

消費をさらに伸ばすことが日本社会の発達のためには必要

消費をさらに伸ばすことが日本社会の発達のためには必要です。消費の需要の上限が、経済の上限になることが多いので、消費の需要を伸ばすことが経済を伸ばすことになります。

所得は支出の結果

誰かの所得は、別の誰かの支出の結果です。この基本的な因果関係が理解されていないため、多くの不適切な経済政策が実施されています。マクロ経済の三面等価の法則は、マクロ経済における「所得=支出」を示します。これから、個々の取引における「所得=支出」を導くことができます。そして、個々の取引における因果関係から、「誰かの所得は別の誰かの支出の結果」と導くことができます。

マクロ経済から見ると、「所得=支出」

マクロ経済から見ると、「所得=支出」です。マクロ経済学には、GDP三面等価と呼ばれる法則があります。生産面「P」と、所得面「消費(C)+税(T)+貯蓄(S)」、支出面「消費(C)+投資(I)+政府支出(G)+(輸出(Ex)-輸入(Im))」の三つが等しくなるという法則です。これらは、恒等式・定義式です。定義自体が、等しくなるようになっています。
三面等価の法則から、GDPは「所得=支出」となります。

個々の取引から見ても、「所得=支出」

個々の取引から見ても、「所得=支出」です。
もし、「所得=支出」を満たさない取引があったとします。GDPの「所得=支出」を満たしている状況で「所得=支出」を満たさない取引を行えば、GDPの「所得=支出」を満たさなくなります。恒等式が成り立たなくなります。したがって、個々の取引は「所得=支出」を満たさなければなりません。個々の取引も「所得=支出」です。

取引の因果関係を見ると、所得は支出の結果

取引の因果関係を見ると、所得は支出の結果です。
所得は、その商品(含むサービス)に関して受け取った金額から、その取引以前の分を差し引いた金額です。支出は、その商品に関して支払った金額から、その取引以前に支払った金額を差し引いた金額です。支払いの結果が受け取りです。受け取ったら支払いが生じるということはありません。支払いの結果が受け取りであり、支出の結果が所得です。

先払い、後払いは、即時払いと貸借の組み合わせ

先払いや後払いは、即時払いと貸借の組み合わせです。慣習や効率のために複数の取引を組み合わせたものです。通貨の授受を商品の授受と時間的に引き離したものにすぎません。既述の、所得は支出の結果であるということを否定するものではありません。
先払いは、購入者の販売者への通貨の貸し出しと、通貨と商品のただちの交換である即時払いの組み合わせと見なせます。通常は、即時払いは通貨と商品の交換ですが、先払いでは購入者の債権と商品の交換になります。
このように、先払いや後払いも複数の取引の組み合わせと見れば、所得は支出の結果であるということを否定するものではありません。